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継続は力なり
そうは言うけれど、何をやっても続かない。
三日坊主
その言葉のように数日続けることさえも難しかったりする。
そんな私が、何かを習慣にすることができるようになってきた。
そもそも何かに熱中するというのが分からなかった。
子供の頃、習い事をしていたけれど、予習したり復習したり、そんな記憶はほとんどない。楽しめていたのだろうか?それすら曖昧だ。
なんというか、一人で目の前のことに没頭することがとても苦手だった。
宿題すらお家でやることが苦手だった。
学校に行って朝の時間にやる。
学校終わってバスを待つまでやる。
給食を早めに食べ終えてやる。
お家でやることは苦手だった。
時間を見つけてやるのは上手だったのだろうけど。
せっかく母も父もいるんだから、何かを一緒にしてたかったんだと思う。自分の世界に入ることで失われるものがあるように感じていたんだと思う。
環境や人間関係の中で繋がったり、繋げたりする世界線と、どんなに頑張ろうとも交わらない世界線に触れながら、心地良さを少しずつ学習してきた。
その感覚は自分の世界に没入する重い扉を開けてくれたように思う。
それでも何かを始め、続けることは難しかった。
コツコツやっていくしかないね、
そんな風に言われるのが私は耐えられない。
長い長い道のりを思い浮かべて挫折する。向かいたい先は高すぎて立派すぎて、想像だけで具合悪くなる。
飽き性だから、そういう性格だから、
何も続いたことないから、
そう言うしかないことが悲しかった。
自分で自分をそんな人としてしまうような気がして口にするのが怖かった。言うたび傷ついていたようにも思う。
休職することを決め、理想のようにはいかなくて、できない自分を見つめる日々もあった中で
じゃあどうしたらできるのか、そんなことを考えることができた。できそうな状態で頑張らせてもらえる環境があった。夜勤はやれない。このペースでは働けない。でもこれならやれる。このペースなら頑張れる。それを自分で伝える勇気を持てた。
普段の生活ではどうだろう?
筋トレをするようになった。これを習慣にするまでには細かな調整をたくさんした。
まずはベッド上で寝ながらできることをしよう。身体を動かす。それでOKにした。
余裕がある日は筋トレメニューをやってみよう。
筋トレができない日は体操にしよう。
横になったら動けない日はスクワットにしよう。
やれてるのハードルを低く、たくさんの小さなイイネを栄養にした。先のこと、身体の変化より今日やれたかどうかを気にするようにした。
気がついたら110日間、每日身体を動かすことができていた。
残念ながら記録は途絶えたのだけど、今でも週に何日か身体を動かすことが習慣になっている。
筋トレを続けられているから、そんな自分をヨシヨシできたから、本を読んだり、料理をしたり、ひとり時間を楽しんでいる。
そして今年はギターを購入した。
やってみたかったけど、手が出せなかったこと。
買っても使わないかも。
そんなことはもう考えなくていい信頼を自分に持てるようになったのだと思う。
続けることは、理想を壊し許すこと、
続けることは、自分を知ること、
続けることは、好きになること、
また続いていく自分の時間をぎゅっと。