どれが本当の私だろう?

ページを開いてくださりありがとうございます、ひーちゃんです。

 

進めたページが風に煽られ戻されたような、
そんな感覚だった

 

止まってた時を戻すように久しぶりを重ねて、
動いてた時はパタリと止まった

 

それがとても怖かった
過去に呼び戻され進めてなかった気がして
再び動き出す時はこれからに期待できるものでもなかったから

 

 

それがとても怖かった
けれど日常に戻ってきた時に思えたんだ

過去の時間も、今の時間も、これからの時間も
どの時もどの自分もそれが私だった

 

 

どれも私だから
選ばなくていい

 

幸せを、期待を、繋いでいこう。

 

今日もぎゅっと。

 


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続けていくこと

ページを開いてくださりありがとうございます、ひーちゃんです。

 

 

 

継続は力なり

 

そうは言うけれど、何をやっても続かない。

三日坊主

その言葉のように数日続けることさえも難しかったりする。

 

そんな私が、何かを習慣にすることができるようになってきた。

 

そもそも何かに熱中するというのが分からなかった。

 

子供の頃、習い事をしていたけれど、予習したり復習したり、そんな記憶はほとんどない。楽しめていたのだろうか?それすら曖昧だ。

なんというか、一人で目の前のことに没頭することがとても苦手だった。

 

宿題すらお家でやることが苦手だった。

 

学校に行って朝の時間にやる。

学校終わってバスを待つまでやる。

給食を早めに食べ終えてやる。

 

お家でやることは苦手だった。

時間を見つけてやるのは上手だったのだろうけど。

 

 

せっかく母も父もいるんだから、何かを一緒にしてたかったんだと思う。自分の世界に入ることで失われるものがあるように感じていたんだと思う。

 

 

環境や人間関係の中で繋がったり、繋げたりする世界線と、どんなに頑張ろうとも交わらない世界線に触れながら、心地良さを少しずつ学習してきた。

 

その感覚は自分の世界に没入する重い扉を開けてくれたように思う。

 

 

それでも何かを始め、続けることは難しかった。

 

コツコツやっていくしかないね、

そんな風に言われるのが私は耐えられない。

長い長い道のりを思い浮かべて挫折する。向かいたい先は高すぎて立派すぎて、想像だけで具合悪くなる。

 

 

飽き性だから、そういう性格だから、

何も続いたことないから、

 

そう言うしかないことが悲しかった。

自分で自分をそんな人としてしまうような気がして口にするのが怖かった。言うたび傷ついていたようにも思う。

 

 

休職することを決め、理想のようにはいかなくて、できない自分を見つめる日々もあった中で

 

じゃあどうしたらできるのか、そんなことを考えることができた。できそうな状態で頑張らせてもらえる環境があった。夜勤はやれない。このペースでは働けない。でもこれならやれる。このペースなら頑張れる。それを自分で伝える勇気を持てた。

 

普段の生活ではどうだろう?

筋トレをするようになった。これを習慣にするまでには細かな調整をたくさんした。

 

まずはベッド上で寝ながらできることをしよう。身体を動かす。それでOKにした。

 

余裕がある日は筋トレメニューをやってみよう。

 

筋トレができない日は体操にしよう。

 

横になったら動けない日はスクワットにしよう。

 

やれてるのハードルを低く、たくさんの小さなイイネを栄養にした。先のこと、身体の変化より今日やれたかどうかを気にするようにした。

 

気がついたら110日間、每日身体を動かすことができていた。

 

残念ながら記録は途絶えたのだけど、今でも週に何日か身体を動かすことが習慣になっている。

 

筋トレを続けられているから、そんな自分をヨシヨシできたから、本を読んだり、料理をしたり、ひとり時間を楽しんでいる。

 

そして今年はギターを購入した。

やってみたかったけど、手が出せなかったこと。

 

買っても使わないかも。

 

そんなことはもう考えなくていい信頼を自分に持てるようになったのだと思う。

 

 

続けることは、理想を壊し許すこと、

続けることは、自分を知ること、

続けることは、好きになること、

 

また続いていく自分の時間をぎゅっと。

 


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尊厳

ページを開いてくださりありがとうございます、ひーちゃんです。

 

 

2023年を振り返るとテーマは【尊厳】だったように思います。

 

【尊厳】そんげん

尊く厳かなこと。

 

【厳か】おごそか

心が引き締まるような立派さや、圧倒されるような重々しさがあり、軽々しく近づくことができないと感じさせる人や場所、物事を表す。 

 

調べてみると辞書ではこんな意味です。

 

 

とにかく怒ってました。たくさん怒ってました。

 

それは言動は人を大事にしてないでしょ。って。

 

何かのしわ寄せが同じ人に集まる状況がとても許せなくて、決めたり守ったりする立場の人が雑なのが許せなくて、たくさんの嘘を重ねた上で悪意はなかったと謝罪がないことが許せなくて。

 

行動のエネルギーは怒りでした。

 

人は一人では生きていけないのだから、助け助けられて、迷惑かけて迷惑かけられて、そうして生きていられるのだから、だからせめて、近い存在は大事に、敬意と感謝を持っていたいのだと、

 

そんな価値観をはっきりと感じた1年でした。

 

他者に対してもそれが強く出てたから怒ってたのだと思います。

 

周りに失礼だよ、という気持ちに加えて、それってあなた自身を大事にできていないのだよ、と目ざとく鋭かったようにも思います。

 

後者のほうが切なさや悔しさもあり、その人を思って気持ちを動かすこともありました。

 

一人一人に価値があって、その人自分自身でも、周りからも大事にされてほしい。

 

例え、悲しいことや困難に直面しても、救われてほしい。助けようとする人の手を取ってほしい。私なりの愛ってそんな思いです。

 

なんとなく思っていた愛が行動になっていった年でした。

 

来年はどんな自分に出会えるか楽しみです。

 

エネルギーを自分と近くの人を幸せにしていくために使えるようにぎゅっと。

 


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悲しみと幸せは共存することもある

 

 

仕事もうまく行かない、職場以外の人間関係もうまく行かない、そんな時、とにかく思いのままに頭の中と心を聞いてほしくなる相手は底上げのスタッフさんやキャンパーだ。

 

数年前の私はどちらかというと自分のことは後回しにするタイプだった。誰かを優先しながら、私なんか、そういうことが多かった。

 

キャンプで私の気持ちを大切にしていいと感じられてから変わってきたように思う。誰かに言ってほしかった「あなたはどうしたい?」を少しずつ自分はどうしたいんだ?って心に問いかけることができるようになってきたのだと思う。

 

私が私を大事にする。

 

それを行動に移せるようになったら、

私に対する言葉や想いを受け取って「ありがとう」と言えた。

 

自分から人を想う、信じようと愛情を渡せるようになってきて、どんなに傷つけられても(私がそうしたかったのだから)「よくやった」と思えた。

 

それがすごく幸せだ。

目の前のことはしんどくて、悲しくて、変わるわけでもないけれど、私の人生を大切にして大切にしてもらって、とてもとても幸せいっぱいだ。

 

悲しいのだけど、幸せも一緒に感じられている。

 



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存在に意味はあるから

ページを開いて下さってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

 

ケーキを作ろうと思ってハンドミキサーを借りた

 

余った牛乳とバナナでバナナジュースにしようとそれらをハンドミキサーにかけた

 

 

 

 

 

 

ひどく飛び散った

 

 

気持ちも天から地へ

 

 

 

ジューサーミキサーにはジューサーミキサーの、

ハンドミキサーにはハンドミキサーの、

意味と役割があるから

 

ミスマッチは荒れるんだと気づいた

 

 

 

夏に転職した、そこから数ヶ月

荒れた日もあった

 

きっとミスマッチだったのだと思う

頑張るだけ、力を入れるだけ荒れるのだもの

 

 

 

けどね、

支えてくれる人が、話を聞いてくれる人が、楽しいことを一緒に考えてくれる人が、いるから

 

言葉にすること、伝えること、諦めていないから

 

言ってもいい、私の居場所にしていくための勇気があるから

 

まだ、前を向いていられる

 

 

飛び散った液体なのか、

力を加える器具なのか、

はたまたそれらを覆う何かなのか、

 

どこにだって魔法をかけて

 

美味しく美味しく、バナナジュースを飲みたい。

 


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力を借りて

ページを開いてくださりありがとうございます、ひーちゃんです。

 

相変わらず、シェアハウスに住んでいます。1年半が経ちますが、安定して棲家になっています。心地よい。

 

ぽかぽかのピクニック日和にピクニックをしました。それがとてもとても幸せだったから、ここに置いていきます。

 

お弁当を作ろうと思い立ったので、何を作ろうかなというところからワクワクです。シェアハウスのメンバーに「入っていたらテンションあがるお弁当のおかずは?」あーでもないこーでもない。会話も弾みます。

 

あー、久しぶりにお菓子も作りたいな。そう思いたち、お菓子が得意なメンバーに相談です。

 

側にいて、これをして次はこれをして、見守ってもらいながら不慣れなお菓子作りに挑戦です。ちょっとの緊張感、ドキドキも程よい刺激でした。

 

食べ物の目処が立ったら、他の持ち物も準備します。レジャーシートは買おうかなと話していると、あの人持ってるよ、という情報提供に巡り合いました。

 

レジャーシート敷いてお弁当を置くのに、ランチョンマットやテーブルクロスのような物がほしい!と考えていると、布ならあの人が持っているよ、という情報提供②に巡り合いました。

 


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私の楽しみのために、多くの人が力を貸してくれて充実した時間を過ごすことができました。

 

帰宅して、お弁当に詰められなかった物たちを食べながら「今日どうだった?」「今日はピクニック日和だったよね」そんな会話までできること、過ごした時間の何倍も幸せを感じることができました。

 

噛み締めてる。人と繋がれる、紡がれる時間を。

 

幸せな気持ちいっぱい、ぎゅっと。

 

とっても優しくて、優しくなくて

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

私は、人の気持ちを、雰囲気を吸い取ってしまうところがある。

調子悪いのかな?

楽しくないのかな?

怒っているのかな?

 

望まずとも影響されてしまうこともある。

あの人調子悪そうだったけど、声かけないほうが良かったかな?

この話は楽しくなさそうだし、興味もなさそうだからやめておこう。

私が怒らせちゃったのかな??火に油を注がないようにはどうしたらいいかな?

 

そんな調子だ。

 

分かるからできる気遣いもある。

最近調子悪い?なんかあった?

もしかしてこれ探してた?

なんか嬉しそうだね、良かったね、

 

 

一緒にいて、話が弾まない時

興味ないのかな?と思うと話すのをやめてしまう

気づいていてあえて苦痛を与えたくはないから。

私なりの優しさだと思う。

 

かといって、盛り上がる、気の利いた話ができるわけでもなければ、不調の訳を聞き出せるわけでもない。話すことにとても不器用なんだと思う。

 

ただ、相手に合わせておきたいのだと思う。私は後回し。相手の心の動きを受け取るところから、私のコミュニケーションは始まる。

 

相手が何を思っていたとしても、一緒にいられて嬉しいよ、そのたったひと言、私の気持ちを伝えられたらいいのに。

言えなかった。それがとても悔しい。

相手に合わせる優しさを私にも向けられたらいいのに。

 

調子の上がらない相手も、優しくできなかった私もぎゅっと。

 


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