いるのにいない。

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

社会人2ヶ月目を迎えています。

 

なんとも不思議なご時世ですが、

お仕事をいただけていることに感謝感謝な毎日です。

 

とはいえ、

いたたまれない気持ち、卑屈な気持ちが顔を出すこともあるのです。

 

すでに、泣きながら帰る日もまあまあある。それも含めて順調なのですがね。

 

 

 

なんでしょう。

この、DoでもBeでも私がいない感じ。

 

毎日、職場に出勤しているのに。

 

 

行っているのに、いない。

 

他のスタッフの中に私はいない。

そんな気がしてくる。

 

Doでいうと、できないことばっかり。

その上、手を煩わらすことも多い。

 

始めたばかりで当たり前

 

助けてくれて、手伝ってくれて、

とても心強い

そういう【優しさ】は感じるし、ありがたい気持ちでいっぱいなのだけれど、

 

 

 

なんでこんな気持ちになってるんだろう。

 

 

連携、

コミュニケーション、

 

そんな言葉が飛び交うフロア、それなのに

 

私に見えていることをシェアしても

 

知ってる感

 

分かってる感

 

そっけない感

 

めんどくさそうな感じ

 

そう見えちゃう

 

それが怖いんだ。萎縮しちゃう。

小さくなって、ギュって窮屈なんだ。

 

 

とうとう、

わたしはコミュニケーションとることをやめてしまった。

 

仕事内容でいうと、できないことしかない中で、

 

コミュニケーションとることくらいは、会話をすることぐらいはできるはずなのに

 

それを私からやめてしまったんだ。

 

ほんとに消えた。

スタッフの中に私が見るわたしもいなくなった。

 

共有ってなんだ?

みんなは何を見てる?どこを向いてる?

 

わたしは何が欲しかったんだ??

 

すごく悲しい。

 

とても悔しい。

 

とっても切ない。

 

それなのに、

こうして少しずつ言葉になっていくと

気持ちは不思議と流れて、すぅーっとしてくる。

 

流れる涙そのままに、とりあえず自分でわたしをお迎えにいく。

 

明日のことは明日考えよう。

悲しさをぎゅーっと。

ほんとかどうかじゃなくて、大丈夫なんだ

ページを開いてくださりありがとうございます、ひーちゃんです。

 

明日から、嵐さんのドキュメンタリーが配信されるそうですね。

活動休止発表の1年、本気を見せつけられ、新しい情報に触れるたびに開いた口がふさがりません。

 

この1年を振り返って改めて思うことは、私は、活動休止の発表を聞いて嬉しかったし、人として尊敬するようになりました。気づいたらブログを始めるくらいに、価値観に、人生に影響しています。

 

嵐さんを見ながら、いいチームとは何だろう?と人と人との「よい関係」について考えることが最近の趣味、もはやライフワークになりつつあります(笑) 研究中!

 

なんでそんなに嵐さんにこだわるのか、、、それはやっぱり今年1年にある気がする。

 

だってね、みんなで未来を選択するのって、難しいと思うんだ。

それを、5人で話し合いながら決断していくって、なんてこった。

 

自分の気持ちを振り返り、向き合い、大切にしながら、

誰かの気持ちに、時間に、想いを馳せ、共感しながら、向き合い、大切にしようとする。

 

簡単じゃないと思うんだ。

この決断を、すっぱ抜かれたりすることなく、5人の口から想いを聞くことができたこともうれしくて、変に不安にさせないあたり、強いなとも思うのです。

 

こんな人たちだから、ほんとかどうか、じゃなくて、大丈夫だと思ってます。

 

何が?って感じですが、

 

あんまり仲良しだから、ちょっとしたことで不仲説って出ちゃうんです。

不仲説が出るたびに、それってホント?フェイク?って考える。

 

でもたぶんその2択じゃなくて。

ずっと一緒にいたら、ぎくしゃくしたり、ん?って思うのは普通に起こりうること。

 

それでも、この人たちは、それを乗り越える術を持ってるんだと思う。当事者で何とかするのかもしれないし、ほかのメンバーも含めたチームとしてかもしれない。どちらにしても、ん?ってことを思い出にできる力があるんだと思う。

 

あまりにも人気で、テレビで見ない日なんてないくらい、休みあるのかな?ってくらい、人目に付くから、その微妙な空気感が、解消される前に伝わってくる瞬間もあるんだと思う。人気ゆえしかたない。

 

違和感をなかったことにはできなくても、それ以上にお互いにリスペクトがあるのかもしれないし、他のメンバーが緩和剤になってくれるのかもしれない。

 

未来を一緒に決断できるだけの人柄と力があるから。心の大きさも、敬意も強さもあるから、きっと大丈夫。

不仲説があるかないかで言ったら真相はわからないけど、大丈夫なんだと思う。

 

本当は活動を続けたいメンバーにとっても、戻ってくるイメージのないメンバーにとっても、これからが明るくありますように。今まで人に渡した幸せ分、それ以上に幸せでありますように。

 

ドキュメンタリーで心の内を聞けるの楽しみだなあー。。。

嵐さんのこれまでのこれからもぎゅーっとぎゅっと。

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さよならはまたね、のために

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

最近の私のホットワードは、「時間」と「感謝」。

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頼もしい進行さん。

 

以前、インターンでお世話になった地域に16か月ぶりに足を運びました。私の中では、ポジティブな思い出の方が多いなって感じてます。

でも、不思議とね、

顔を見て、あの時は、って話をしてたらこみ上げるものがあったんだ。

 

なんでかなー。

 

「なんでもっと、、、、」

私たちに向けられた、思いやりを感じられたから?

「あの時ほんとはね」

今だからの気持ちを交換できたから?

 

ほとんど連絡を取っていなかった1年4か月の時間、

お互いの出来事も、気持ちも、すべてを見せ合うわけではない。

ないんだけど、想像できたんだ。

 

今目の前に広がる、表情から、言葉から、そこに集った人から。

 

当時一緒にインターンをしていた子がね、

私たちの存在はおっせかいだったかもしれない。私たちが奪っていたものがあったかもね。

 

って、時間を経てそう思う、って。

 

そうかもしれない。そうだったかもしれない。

でもね、そんなの、近づいて、離れたから感じたことでもあると思うんだ。

私たちには終わりが必要だったんだ。

 

さよならは、またね、のために。

 

またね、は関係をアップデートして今の私たちをまた、好きになるために。

 

「邪魔」だった私たちを仲間にしてくれて、いろんな喜びを共有してくれて、

幸せと感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。

 

 

 嬉しそうなあなたの表情に、私まで嬉しく、そしてちょっとだけ切なくなりました。いろんなものと出会い、お別れをして、それでもなお、繋いできたものがたくさんあるね。ちゃんと繋がってたね。ごめんなさいとありがとうを伝えたくて向かったはずが、あなたからたくさんのものをもらいました。もらってばっかり。私も負けてられないね。愛おしい気持ちとともに、また一緒に笑える日まで、またね。

 

「ありがとう」って思えることがなんだかとっても幸せなんだ。

ぎゅーっと、ぎゅーーーーっと。

おにぎり

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。 

 

忙しない毎日。

 

でもせめてご飯だけは持って行こう

 

おにぎりさえ用意できたら、

お弁当にできなくてもお惣菜を買い足せばちゃんとご飯になる

 

毎晩、最後の力を振り絞って

お米を研いで炊飯予約する

この時間は、

 

明日もおにぎりにするぞ

そうして予定もがんばるぞ

 

って明日へのエールだ

 

おにぎりをにぎるときも、

よし!今日も用意できたぞ。

よっしゃ、他のこともがんばるぞ。

 

って今日の気合い入れだ。

 

 

 

おにぎりをぎゅーっと。

自分を大切にするマイルールもぎゅーっと。

 

 

 

もう、1人でやらない。

ページを開いてくださりありがとうございます、ひーちゃんです。

 

またまた人が集まる空間をつくるチャンスをいただいて、

チームを組んで動き出した。

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今回は結構な人数のチームで、足並みをそろえるとか、総意を取るとか

とっても難しく、進んでいる感覚がなくてとっても苦しい。

 

それを相談すると、

 

「ちゃんと種がまけてると思うけどなあ」

 

「答えのないことをみんなでつくっていくんだ」

っていう大切にしたいことは、しっかりと周りに届いているから

 

ひーが抱え込まないで、任せてもいいんじゃない?

 

そう言ってもらえて、

あー、1人で創ってきたわけじゃないんだなー

 

って感じた。

 

私がやってた役割を代わりに引き受けてくれる人がいて、

大切にしたいことを大切にしながらその人らしい雰囲気を作ってくれた

 

1人で発信してるものではなくて、

チームとしての空気感ができてきた気がした。

 

一緒に創る感覚

そういえば、今年の夏にも感じた感覚だ

(夏の出来事の“長めの”記事はこちらから↓)

https://hikarun-py.hatenablog.com/entry/namidanowakewo

誰かが一緒にやってくれる。1人じゃないと思ってる以上に大きく広がる。

 

いつかの私は、自分1人でやることで自分の力を認めてほしかったし、できるんだって思いたかった。

 

けど今は、誰かが周りにいてくれるからできることあるなー。助けられてるなー。と素直に思える。それが嬉しい。

 

だからこそ、一緒にやるときに周囲を大切にしたくて、与えることに一生懸命で客観視できなくなる。

 

これでもかこれでもか、

まだかまだか

ってなっちゃうけれど、

周りを信じて見切りをつけたり、

とどいてるかなーって確認する作業も必要なんだなー

 

すすんでるなー

また進んでいくんだろうなー

 

【まだまだ】も焦らずぎゅーっと。

料理が楽しくなったのは。

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

料理が楽しくなったのは、

彼らに出会ってから。

 

料理が楽しくなったのは、

美味しいねって一緒に食べてくれた人がいたから。

 

料理が楽しくなったのは、

人に届くまで想いを込める人がいると知ったから。

 

料理が楽しくなったのは、

「完璧なわたし」を手放すことができたから。

 

 

 

料理が楽しくなったのは、

こうしたらどうなる?って挑戦する気持ちが湧いてきたから。

 

料理が楽しくなったのは、

キッチンで本音がぽろっとする瞬間を知ってしまったから。

 

料理が楽しくなったのは、

誰かと一緒に美味しいねって幸せな時間を過ごしたいから。

 

 

いわゆる

好きな食べ物ランキングにランクインするような、

それのレシピを追うことに一生懸命だったあの頃

 

料理できる、1人だって生活していける

そう証明するための手段だった

 

いつしか、

料理がインターンとしての仕事になって、

一緒に住む人と一品ずつつくってお弁当にするようになって、

人と一緒にキッチンに立つようになって、

 

「誰かの得意な○○!」を振る舞ってもらうようになって、

安い味だなーって笑いながら、

食事を楽しく幸せな時間にしていくってことを知って、

 

これでいいんだ、こうやって作るんだ!も、

あ、楽しい!幸せ!も、

名前のつかない美味しいやつも、

少しずつ私のものになってきた。

 

あの時よりもレパートリーは増えた。

使う食材の幅も広がった。

みんなの好きな完璧なものを!のプレッシャーはなくなった。

 

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「ねえ、おいしいよ。人に振る舞ったりしないの?もったいない」

そう最初に言ってくれたあの人と、またご飯食べたいなあ。。。

 

そんなことないよって言えなくて

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

「みんな、私がいなくてもへーきそうだもん」

「私がいなくても楽しそうだもん」

 

そう言われて

「そんなことないよ」って言えなかった。

そう思うのかーって受け止めることしかなかった。

 

そうしたら、「あなたはどう思う?」って聞かれた。

でてきたキモチは

共感だった。

 

私も思うんだ。

ここにいていいのかなって

私じゃなくてもって

 

でもそうじゃない。

あの人と一緒だから頑張ってみようって思う。

あの人が好きだから、あの人と一緒で楽しいって感じられるから。

だから、今日もここにいるんだよ。

 

 

 

その人だからできることがあるかもしれない。

 

その人にしかできないことはないのかもしれない。

代わりなんでいくらでもきくのかもしれない。

なんとも言えない気持ちを持ちながら、

でもそうじゃないよって、自分にも言い聞かせて

 

前を向いて口角をあげる

 

 

プラスの気持ちもマイナスの気持ちもぎゅーっと。