メンヘラを飼う。

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

「メンヘラ」ってきいてどんなイメージがある?

検索してみると女性に関するものが多いみたいね。ふしぎ。

ー感情の起伏が激しい

ーネガティブ思考

そんなことからめんどくさく感じたり、いたいやつだなーって感じたり、「あの人メンヘラだよね」なんて人に対して使われることが多いけど、本人には伝えにくい、そんな感じが強いかも。

 

「メンヘラを飼う」そんな言葉を使って、私もメンヘラとしての気持ちが生まれることがあるしみんな持っているんだって許してみることにした。

 

飼うっていう表現は、某メンヘラ研究会ががメンヘラを代表する気持ちにユーモアあふれる名前をつけてくれたから。

マウントを取ろうとする気持には”マウンティングペガサス”

ネガティブな気持ちには”ネガティブユニコーン

ほかにも何か言っていた気もするけれど、私に身近な怪獣はこの2つ。

 

わたしの中のペガサスとユニコーンは最近特に暴走気味でコントロールが効かないの。

 

自分が環境に対して抱いている不満もうまく伝えられなくて「しんどい」が伝えられないことすらつらい。そんな時に「もう3か月もお腹がいたいの」「朝は薬を10錠飲んで出勤するの」そんな、結果として生まれてしまっている事実を伝えることしかできない。

 

でもそれって心配してほしいとか構ってほしいユニコーンとは少し違う。気にかけてもらうことも心配してもらうことも、もらってうれしい気づかいなはずだけどそれだけでは目の前で繰り広げらる苦しさは何も解決しないんだよ。それならいっそ、それでも出勤し続けられるなんともタフな私を笑って欲しいし、笑わせてほしいよ?なんて思ってしまう。

 

そうではなくて「しんどいからどうにかしたい」を伝えたいし、こんな状態だからできないことも「許してね」そんな気持ちもあるんだと思う。これはもう先回りして登場するペガサス。

 

自分が悪いわけではないのに、全体に欠陥があると気づいた時にも「あ、わたしが。。。ごめん」なんて口を開けば申し訳ないって言ってるときもある。「なんで謝るの?別に」って笑われることもあって、無意識にユニコーンが飛び出したことに自分でも驚くことがある。これだって「許してほしい」のペガサスで。

でも飼っているのは私だけでないことも感じていて、「ごめんね、わたしが・・・」が飛び交った時、私の方が悪いわを競うようにペガサスたちは高く飛ぶの。

 

飼っているペガサスとユニコーンの状態から、心の奥底には「許されたい」そんな感情が強くあるらしい。コントロールして平穏を取り戻したいけれど、動物だからさ、圧をかけるほど暴れだすような気もする。だからね、穏やかになれる心の環境と身体の状態をとにかく整えてあげないといけないんだと思う。

 

わたしはメンヘラなんだ!なんてちょっと恥ずかしい。私のペガサスやユニコーンが暴走して誰かに攻撃をしかけたとき、あ!!ごめん!って情けなくて申し訳なくて。けどね、おそらく大概の人はその深刻さは違えどいるはずだと思う。そう思ったらだいたいの人の嫌なところも許せるように、ちょっと愛おしく感じるようになってきた。メンヘラだって悪くないじゃない。そんな私だから人の気持ちに寄り添えることもあるし、だれかのペガサスやユニコーンを笑って癒すことができる気がする。

 

社会に量産されるメンヘラと一緒に今後も。

この辺の話はまた今度、書く機会があれば。

 

落ち込んでたことも、凜と前に向かうこともぎゅーっと。




f:id:hikarun-py:20210223195559j:image