デリカシーについて

ページを開いてくださりありがとうございます、ひーちゃんです。

 

私が困っているときに連絡する相手はだいたいデリカシーがない。

 

調べてみると、delicate(繊細さ...)の変容したもので《配慮 気配り》という意味で使われる言葉らしい。

 

しんどいこと、苦しいことをお話しているのに、「おもしろい、笑った」って返事がくる

 

歯止めがかからなくて言わなくてもいいこと言っちゃったよって反省して共有してるのに、「こんなこと言ったら私も言われる?こわいこわい」なんてヘラヘラしてる

 

人の失敗を写真に収めておいてグッズにしちゃったりする

 

その一つ一つに、

ほんっとにデリカシーないよねえ

 

って言っちゃうんだけど、なんでか気にならないんだよなあ。なんなら一緒に笑っちゃう。

 

あー、なんだかよくわからないけれど、今、私からあなたに笑顔を届けられたならよかったわ、むくわれる。

とさえ思えてくる(感覚イカれてんのか)。

 

きっと一生忘れないであろうデリカシーないよね話は、休学してインターンしていたときのこと。

 

数日間のイベント?中だったのだけど、お母さんと喧嘩して大泣きし始める私(業務中にカオス)に、笑い始めるスタッフたち(たぶんね一人じゃなかった)。

 

しまいに、写真とろ。なんて言いだし、

こんな顔で写りたくないという私に、

 

違って、今だから撮るんだよ。いつか笑えるから大丈夫だよ。

 

そう言われた数分後のお顔。

 

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愛があれば、愛を感じられるのであれば

デリカシーがないことに救われることもある。なんなら、笑ってくれとすら思ってしまう。

 

愛のある関係を笑顔を育み、泥臭くてもひたむきにキラキラしていたいと、やっぱり思うなあ(現状はただの泥、ドロドロのどろ)。

 

ぎゅっとぎゅっとぎゅ~っっと。