「ヒトリゴト」でも「フタリゴト」でもなくて

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

いつも話を聞いてもらっている人に最近どう?って聞かれたから、

親に手紙を書いたんだ。

 

そんな近況報告をした。手紙の内容も見てもらって感想を聞いてみた。

 

すると、

前に母とケンカっぽくなって、暴言が送られてきたときのことを思い出す。

 

って言われた。

私は忘れてた。

そういう小さな傷は、傷跡は消えずに残っているけれど、当たり前すぎて目にいれていなかったから。

 

こんな暴言を送る関係の中で、この内容の手紙を書くって相当頑張ったんだな

 

って言われた(気がする)。

思い出したことが心をギュッとしたから、いっぱいで言葉が入ってこなかった。。。

 

書くのに相当勇気と覚悟と体力が必要で、

書きたいのに書けない

瞬間は、

怖いんだろうけど、なんでそんなに怖いんだ???

 

具体的に言われてきた言葉が思い浮かぶことはなかった。けど、苦しい感覚だけがある

 

手紙を書くって、

そんな私の気持ちをずっと感じながら、「それでも」って自分を鼓舞するように向き合った。

 

送る相手を傷つけたいわけではない。<嫌>だけじゃなくて好きも愛も伝えられないか

って相手と向き合っていたつもりだ。

 

自分も相手も信じて、伝われって願った。そこには私と両親しかない。と思っていた。

 

けど、いつかの暴言をはっきりと覚えていてくれる人がいて、

その時の私の気持ちも、(おそらく母の気持ちも)

手紙を書いて送った私のことも、こうして大切に見てくれているんだ

 

そう思ったら、私だけのことでも私と両親だけのことでもなくなった気がした。

ほんとはそこの関係値の出来事でしかないはずなのに。

 

だからこの涙は、

そりゃ書き始めるのがしんどいはずだよ、よく頑張ったよ、じぶん。

っていうのと、

 

なんだ、1人で戦ってないじゃん。私がいて、両親がいて、ステージに我々だけスポットライトがあてられているように見えていた世界でも、実はもっともっと大きくて、いろんな人がいて、いろんな色がある。

 

あったかいものだ。安心したんだ。

 

1人なのに1人で生きているわけじゃない。

 

愛を待つ人ではなく、新しいステージに。ぜんぶマルゴトらぶ。

強みと付き合っていくこと

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

東京にいるからこそできること、

そう思って始めたバイトはスポーツ教室のコーチで、そろそろ2ヶ月

 

たくさんある教室の中のどこかに行くので

 

いつも、

子どもとはじめまして。

親御さんとはじめまして。

 

一緒に回すコーチとはじめまして。

 

 

イベントとかの場を作るときに意識することは、

まずは一緒にやる仲間といかに関係を築くかということ。

 

レッスンでも変わらない。

メインコーチが何を求めているかがわかると自分がどう動くかとっても考えやすい。

 

リードする人がいて、その人と息を合わせられることで、場にいる私の価値はあがる。

それが強みだと思う。気づく力、動く力。

 

最近になって、

メインコーチの方々から、

あなたなら大丈夫でしょって評価高いんだよね

 

って

 

だから固定の教室じゃなくていろんなところをお願いしてる

 

って。

 

一瞬は嬉しい。嬉しいはずなのに、

なんでだろう。何かが喉につっかえる。

 

どうしてだろう。

 

きっと、その場をつくる私は

心地よくないんだと思う。

楽しめていないんだと思う。

まだまだだなーって心が折れることばっかり。

 

自分にとってできて当たり前のことを

強みだと思った途端に、

それができていない時にはありゃーってなるし、

 

プラスアルファを学習できてる感覚がないから、なんとなくしんどさが生まれる。

 

そして、

心地よく学び進められる環境を自分でまだまだ作れてないんだなーと思う。

 

ここに来て、

同世代、1つ2つ下の子とどう距離感をとるか、どう関わっていいかわからない

 

 

少し力みすぎなのかなー。

何か焦ってるのかなー。

 

実は、ほんとは、いっぱいいっぱいなのかもしれない。

シェアする生活

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

私は今シェアハウスに住んでいます。

 

シェアハウスを好むってどんな価値観だろう?

 

1人でお部屋を借りるより安い

とか?

おかえりって言ってくれる人がいる

とか?

ご飯を作ってくれる人がいる

とか?

いろんな人と出会える

とか?

 

一人暮らしも経験のある

私が感じていることは、

 

生活費のことと、消費についてのこと

 

一人暮らしの時は何にいくらかかるか、電気代、水道代、1つ1つがプレッシャーでした。

 

頭の中ではいつもお金の計算。

あといくら使えるんだ?なーんて。

 

シェアに来て、毎月の額が決まっていることで、

光熱費の計算を手放すことができました

 

これはかなりでかい。心の余裕。

 

 

もう一つ、

消費について。

 

一人暮らしをしていると、生活するために必要とされるものものが、1人のために1つ必要になる。

例えば、Wi-fiとか家電製品とか、

 

確かに買ってくれる人がいると企業は嬉しいのかもしれない。

 

けどそれって、1人に1つ必要なものなんだっけ?

 

Wi-fi代金を自分が使うためだけに支払っているってもったいない。

 

家電製品が1人1つを目指して作られるんだとしたら気持ち悪い。

 

製品すら飽和状態で、無駄にしていることもあるんじゃない?

 

ものもシェアすることが

心地よく感じられるなー

 

生活習慣と購買行動、消費についての価値観を思うと、シェアハウスすることに関心があるんだなとおもう。

 

もう一人暮らししたいと思わないなー

 

あ、こ、が、れ。

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

好きなこと、やりたいことをやる

それをお仕事にする

 

それは1つの幸せの形なのかもしれない

 

たしかに、

そんな人は生き生きして素敵だなーと思う

 

私がかっこいいなーって憧れを抱くのは

 

自分の得意なこと、好きなことを

武器に、ツールに、手段に、

 

作りたい社会を作ろうとしている人だったりする

 

目の前の人と、近くの距離から

大切にしたいものを大切に理想を形にしていく姿はとってもかっちょいい

 

私も

好きなこと、ものを

使って、磨いて、

 

その先を人と一緒に描きたいなあ。

 

知らない世界に向かうとき

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

知らないこと、ものに触れるとき

ドキドキとワクワク、

楽しみな気持ちと不安な気持ち

 

大きく2つの気持ちがある。

 

もちろん人によって、その出会うものによって、バランスはかわってくる。

 

私の場合、

新しさと、過去や今との繋がりが見えているとチャレンジする勇気が湧いてくる。

 

でも、これまでとの繋がりが見えないことは、全くわからないことは不安が勝つ

 

怖くなっちゃうんだ。

 

そうなると、わたしは、

運に任せて決断しようとしてしまう

 

あるときは、

おみくじや占いに頼ってみたり、

 

またあるときは、

じゃんけん、くじ引き、あみだくじ

 

 

不安でいっぱいの心に

決断する勇気をもらったり、

楽しみを生み出してみたり、

 

迷いも不安も、

そこに生み出す楽しみや期待、

 

どれも私らしさ。

 

そんな風に少しずつ。

 

言葉にならない時間

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

しんどくて、苦しくて、

そんな時には

人に話そう

 

そんな風に思うようになってきました。

 

けどね、ほんとにしんどい時、

頑張って人にヘルプを出して、

時間をもらって、

 

その人を前にしても、

なかなか話出せない

 

せっかく人の時間をもらっても、

何を話していいかわからない

 

頭の中でたくさんのコトバと想いをぐるぐるさせても、

 

口からは何も出てこない

 

結局タイムアップになり、

思うことは、

 

あー、時間を奪ってしまったなあ

 

私って話すの下手くそだし、話す勇気もないし、話せないんだなー

ってこと。また葛藤するんだ。

 

こんな私にも、ある人は、

 

口にできる時って、ある程度考えがまとまって答えが決まってる時でしょ?

 

言葉にならない時間も、あなたには大切な時間でしょ?

 

そうな風に言ってくれた。

 

表出する、表現できることが全てではないことを、その出そうとして出ないその全てを、

 

大切にしたいなあ。

 

ただただ続いていくだけ。

ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。

 

あの人の

 

(あなたここまで)頑張ったと思うんだ

 

はすんごいパワーがあるんだ

全てを話した訳でもないし、全てを知っているわけでもない。

 

でも、カクカクした優しさが

すぅーっと入ってくるだ。

 

涙のスイッチが入るんだ。

 

そうか、

今の私の当たり前はこれまでの私の頑張りの積み重ねなんだ

 

そう思えるんだ。

 

そしてその変化を喜んでもらえるんだ。

 

まだまだなこともあるけれど、

そんなに焦らなくていいよって言ってくれるんだ。

 

そりゃ、わからなくて当然

そりゃ、できなくて当然

 

でも失望されているわけでも期待されているわけでもない。

 

進みたかったら行ってみなさい。

 

 

《つまり、言いたいことは 、、、自分で決めなさい。ということと、寝なさい。(まずは元気になりなさい)》

 

そうかそうか。そうなのか。

 

目の前のことを頑張れば、次のことが開かれていく

 

たしかに、仕事探しへの注力度はマックスじゃなかったかもしれない。

でも、

新しい環境に飛び込むこと、

そこに居場所を作ろうとすること、

そこで生活の営みをすること、

そして、これからを考えること、

 

相変わらず、泣いたり愚痴ったり、うまくいかないなーって感じながら

 

それでも今、重ねてきた先にあることは

 

ご飯を人に振舞わせてもらえること、

バイト先で目標を見つけていること、

内定をもらったこと、

これからに悩んでいること、

人と一緒にあったかい場を作ってきたこと、

そして、少しずつ、でもたしかに、

 

話したい、聞いてほしい、聞きたい、

 

そう思える人がふえていること。

 

話すことが怖くなること、話すことがもっと下手くそになること、

依存先は増やせてないんじゃないかって不安になること、

あるけれど、

 

浮かぶ顔はふえた。

会いたいよーって伝えたい顔もふえた。

話し聞くよーって顔もふえた。

依存先になっている感覚もある。あるんだ。

 

 

 

これからのことを考えると、

人のためなのか、自分のためなのか

わからなくなる。

 

でもやっぱり、これからのことも私の延長線上でしかない。

 

新しさって真っ白ではない

 

そんな真っ白を求める必要もないんだろうなー

それって知らない世界。わからないことだらけ。

それにワクワクするんだったら、知りたいなら飛び込んでみたらいいんじゃない?

 

 

やりたいこと、これからに求めていることは

やっぱり線を遡ったところにあって、

 

こうなってればよかったのになー

だし、

今もっとこうだったらいいのになー

だ。

 

それ以上はないんだと思う。それでいい。

 

だから、いつか満たされる時が来るかもしれないし、飽きるかもしれない。

 

やりたいことで、変えていきたい自分の延長。以上。それ以上は求めてもわからん。

仮説を立てて進んでいくか、

思い切って飛び込むか

それしかないんだろう。

 

そう思ってもぐずぐず決められないのはどうしてーーー(笑)