あの日の私へ

ページを開いてくださってありがとうございます。ひーちゃんです。

㊟この記事は #家族 がテーマの重い内容になっています。

 

この世界には「愛着障害」っていう言葉があるらしい。

 

紹介してもらった本を読んでいたら、思い当たることがたくさんあって気持ちはもういっぱいいっぱいなんだ。

 

子どものころにどんな環境で、どんな家族関係で育ってきたかが、その後、人とどのように関係を築こうとするのかに影響することが分かってきたよ。

 

愛着障害を簡単に紹介するとこんな感じなのかな?

 

本を読みながら、ずっと頭の中で再生されていた映像がある。

母と祖母が喧嘩してダイニングにモノが飛び交う。

 

 

「あんたたちは2階に行ってなさい」

 

泣いてる妹と抱き合いながら、怖いね、聞きたくないねって。

軽くパニックになってる妹に

大丈夫、すぐ仲直りするはずだから。

って言い聞かせながら、私だって怖くてしょうがなくて。。。

 

ガシャーン

バリーン

ドドドドン

 

「やめてよ」

「もうなんなの、出て行って」

 

ダイニングは吹き抜けになってて、子供部屋に居ても聞こえてしまうから、

一番遠いところで、布団があって寒く無い部屋にたどり着いたっけ。

 

 

保育園に通っていた時からなにかと習い事をやっていて、その送り迎えの車中、

なんでか人目に付きにくいところに母は車を止めたの。

しんどそうに、苦しそうに、泣いているように見えた日もある。今思えば。

 

「どうしたの?どうしてここにいるの?早く帰ろうよ」

 

「もうちょっとだけ」

 

何にもできなくて、どうしようもなくて、

不安になってきて、仕方ないから、寝ることにして。。。

 

どうして不機嫌になったり、喧嘩になったりするかよくわかんなかったし、

怒られたり、何かが飛んでくることが怖くて、

 

少しずつ少しずつ、いろんなことを隠すようになっていった。

できないこと、失敗してしまったこと、うまくいかないこと、

 

「なに泣いてんの」

「泣いてもいいけど、声出すな」

 

そんな風に言われてきたから、どんどん、一人で静かに泣くことが上手になっていって

 

掘りごたつの中で泣きながら、寝かけてしまったこともある。

 

全部全部、何か自分に感情が向かってきたり、怒られたり、否定されないように、自分を守るために、みにつけてきたもの。

 

 

 

最近までうまく笑って写真に写れなかった。

 

7歳まであんなに笑っていたのに。

笑えなくなったのは、

 

「めくさい(方言でかわいくない)から、歯を出さないで」

 

そんな風に言われてから。

歯が抜けちゃってたから、それだけなんだけど、

 

結構ショックだったのは、未だに覚えている。

わたしのこと、ままはめくさいと思うのね。かわいいのは妹だけなのかな。

 

そんな風に思うようになった。

 

スマホを持つようになって、写真が母のものから私のものになってから、

なんで私って笑えないんだっけ?歯か!って思い出してからは

歯が生えたから笑ってもいいんじゃない?

 

なにより、一緒にいて楽しい友達との写真なのに、楽しそうじゃない私が嫌で笑って写りたいと思うようになった。

 

「笑ってた方がいいよ、そっちの方が好き」

そういってくれる友達がいてくれたことも大きかった。

 

 

 

本で紹介されていた愛着障害に、どうやら当てはまる私が、

たくさんの方に出会い、支えられ、少しずつ、人とどう関わっていいか、学んできた

 

からこそ、人と一緒に暮らしたい。

 

そう思うようになった。母に伝えたら、

「ただでさえめんどくさいあんたと一緒に暮らすヒトなんて・・・」

そんな感じのこと言われた。

 

言われたんだ。

一緒に暮らしてもいいと言ってくれるヒト

 

見つけるのが簡単じゃないことくらい知ってるよ。

 

私がめんどくさいこと。

 

知ってる。十分、知ってるよ。

めんどくさい私は、

あなたの意図とは裏腹に深く傷つくあなたのコトバから逃げるように、守るように、

 

苦しいときも不安なときも、甘えて泣きつくことができなかったから、

「なんで本当の気持ち、わかってくれないんだろう(知ろうとしてくれないんだろう)」

そんな気持ちからの振る舞いたちは、ほんとはずっと

 

「助けて」

 

 

っていう合図だったはずなんだ。

本当はただ、ぎゅっとハグしてほしかった。そんな風に愛をしめしてほしかった。

 

でも、それじゃいけなかったね。伝わらないよね。

 

もう、母も祖母もモノを投げ合って喧嘩できるほど若くはなくなって

私にも時間が流れた。

 

あの時の、私に、

「怖いよね、怖かったよね」

 

そうやってギューッと自分で抱きしめてあげよう。

 

妹には、守ってあげられなくてごめんねって伝えよう。

 

母には、分かってもらえないと思っていたけれど、私もあなたを知らないね。お互い様だねって。

 

祖母には、なにが苦しかった?って聞いてみたい。

 

 

 

気づいたばっかりで、しんどくてしんどくて、

人目につかないところで泣くことしかできなくて、

話を聞いてほしい。って、

びくびくしながらもしんどいって言葉にするほかなくて。

 

こうして書き記すことで昇華させようとするしかなくて。

 

 

もう少ししたら、またその時が来たら、前に進めるはず。

そう信じることしかできない。

 

うん。そうなんだ。話したところで変わらないのだけれど、

聞いてくれる人がいるんだなあ。

 

無理しなくていい、焦らなくてもいい。

今じゃないかもしれない。

 

そんな風に守ってくれる人がいてくれて、その人たちの手に、言葉に、私も手を伸ばそうとできるようになった。

 

久しぶりに、中学の先生に会って、

 

中学の私をどう見ていたかを聞くことができた。

 

私の苦しさに手を伸ばそうとしてくれていたらしい。叶わなかったらしいが。

 

その気持ちだけで、そんな人が近くにいてくれただけで、

 

よかったねえ。

 

って救われる。

 

ぎゅっとぎゅーっと、あの時の私を抱きしめるんだ。

 

過去も事実も変わらないけれど、想いを馳せることができたら、動き始める何かがある。

 

苦しい気持ちに気づくのも、

大丈夫だよって言ってあげられるのも

 

いつになるかわからない。

わからないけど、

 

きっと届く。届けるんだ。

 

もう遅いなんてことはない。

 

言ってもらいたい言葉は自分で言ってあげよう。

 

苦しいね、しんどいね、怖いね、

わかんないね、1人な感じがするね、

 

わかってるよ、ちゃんと感じてくれている人がいるよ、ママもしんどそうだよ、

大丈夫だよ、救われたね、ありがとう

 

そんな言葉たちをあの日の私へ