ページを開いてくださってありがとうございます、ひーちゃんです。ふと思い出したことから思ったことを書いてみます。
悲しい顔で頑張り続ける人がいてね、その人を見て、体力的にも精神的にも限界を迎えた日のことを思い出したの。
▼限界を迎えたできごと
数年前の夏、全国から高校生が集まってくるような勉強合宿?の運営をすることになったの。
知らない人の中で、事前に仲良くなれずに合宿が始まった。そもそも不安だったし、よく分かってなかった、笑笑
会場行ってみたら、決まってないこともあったりしてみんなよく分かってなかった、笑笑
そんな感じ。
企画側と運営側とで、連携もうまく取れてなかったなぁ。
そんなこんなで、
終始てんやわんや。あんまり寝れなかった。
仮眠をとって迎える朝には
コンタクトレンズと目の戦い
目の下のクマをどうやって隠すかの戦い
少しずーつすり減って、最終日。
▼限界でどうなったのか
ちょっとの衝撃で涙が止まらなくなってた。
頭や足を軽くぶつけて泣いちゃう。
笑って肩が震えるだけで涙は止まらなくなってた。
それでも、不思議なことに頭は冴えてた。
運営スタッフと連携をとるのにも、泣きながら、笑いながら、だったから
どした?ってめっちゃくちゃ笑われた。
▼どうして限界になったのか
ここからが今日の本題のような気がします。
今思えば、
あの時の私は
悲劇のヒロインに憧れてた
そんな気がする。
逆境でがんばるって、ある種の力だと思ってた。
とことん、逆境を演出することが大事だったのかもなあ。
満たされたい承認欲求、あったんだろうなあ。
だから、気になること、目についたことはやりすぎなくらい粘った。
「やらない」ってできなかった。
もちろん、誰かがやらなくては進まないことなんてたくさんある。
この時だってやれることやったけど、
最終的には怒られた気がする。
そうして思うんだ。
「どこまで頑張ればいいんだろう、、」
「わたしはやれることやってるのに、なんで、、」
「どうしてそんなこと言われなくちゃいけないの」
なんて悲しくなっていく。
自分で作りだして自分で転がっていくんだ。
「やらない勇気」を持てずに「悲劇のヒロイン」というパワーが欲しかったんだ。
▼あの日から
あれからもイベントや合宿に関わらせてもらいながら、
いろんな場所でたくさんの人と出会いながら、
「悲劇のヒロインパワー」に頼らなくても
満たす方法を学び、「やらない勇気」も少しずつ覚え始めた。
手放すことで、楽に一生懸命になれる。
次はそろそろ、【楽しい】を知りたいなあ。。。。
▼あの日がくれたもの
こうして限界の日を思い出した。
いつもネガティブな気持ちに支配されちゃいがちなのだけど、
プラスの得たものもあるの。それを大切に持ってる。
・泣いてる私を笑って心配してくれる、優しい仲間がいた。
弱いところを見られたくなかったであろう私を、盛大笑ってくれて距離が縮まった。
人に笑われて嬉しく思ったのなんて初めてだった。
また会えたらって思うんだ。
・限界を知った。どんな過程を経ておかしくなっていくか知れたから、調整できるようになった。そして限界でも最後までやりきるれる。
気づいたら、しんどい思い出ではなくなってた。
▼最後に
ここまで長々とお付き合いくださってありがとうございます。
いろんな場に関わらせていただく中で少しずつ積み重ね、
【あたりまえ】になってきたものがあることに気づかされます。
それと一緒に、たくさんの人の顔が浮かんでくる。
もらった言葉、気持ち、視線、想い、愛。
それをエネルギーにまた前に進める気がする。
いつもたくさん、ありがとう。